金沢城公園には豊かな森林があります。
この森林は、ふるくから人の手によって維持されてきました。
これからもたくさんの生きもののいる豊かな森林であってほしいと思います。
山のように木が茂っている金沢城公園の緑 |
植物園だった頃はこの草地にも樹林があった。 |
アベマキやスギなど高木林の あいだをとおる宮守坂。 |
3月頃ヒレンジャクが、よくこの 玉泉院丸跡の広場に集まります。 |
○金沢城公園の中には金沢大学のキャンパスがありました。 昭和24年から平成7年まで、金沢城公園には金沢大学のキャンパスがありました。その間、本丸園地の森は理学部の付属植物園として学術研究の場となっていました。そのため都心部にありながら開発の波にものみこまれず自然の状態として守られてくることができたのです。本丸の森では現在でもスダジイやモミの巨木、旧藩時代のころに植栽された樹木、自生した樹木や灌木、多くの山野草をみることができます。 キャンパスがあった頃は現在よりも林が鬱そうとしていたようです。城壁のあいだから数多くの樹木が生育し、樹木の根によって城壁がくずれおちてしまう危険もあったそうです。いまでは、城壁のあちこちでその切り株がみられます。大学が移転した後に、下草の刈りとりや樹木の伐採、歩道の拡張など、公園整備がすすめられました。公園整備により林は薄くなり、森林内部が明るくなったことで、植物園であったころにくらべると生物が少なくなってしまったようです。しかし、現在でも森林として残されており、多くの野生生物が生息しています。 ○金沢城と公園の歴史について 金沢城の歴史は、1546年に金沢御堂(尾山御坊)が建立されたことにはじまります。1583年に前田利家が入城し、1869年まで加賀藩前田家14代まで居城として金沢城がおかれていました。その後、陸軍省の所管となり歩兵第七連隊、第九師団司令部が駐屯していました。戦後、昭和24年から平成7年までは金沢大学として利用され、文部省所管となりました。平成8年には石川県が金沢大学跡地21.7haを国から取得し、外濠公園を含めた28.5haを都市公園として利用することを決定、「金沢城址公園」が誕生しました。平成12年9月8日には「全国都市緑化いしかわフェア」が開幕し、フェアが終了してまもない12月18日に「金沢城公園」として名称が改められました。平成14年3月からは「加賀百万石博」が開催されています。 ○金沢大学元教授の大串龍一博士のもとで金沢城公園に生息している生物の調査がすすめられています。 金沢城公園の自然については、金沢大学によって1970年代から金沢大学理学部の付属植物園(本丸園地の森)を中心に環境の推移が見守られています。金沢大学名誉教授の大串龍一博士が中心となって調査が進められてきました。大串龍一博士は、1989年から6年間にわたる自然環境と動物相調査をもとにして「城跡の自然誌 金沢城跡の動物相から」をまとめられています(1995年に出版)。 1999年3月からふたたび、大串龍一博士のもとで金沢大学理学部の学生を中心として、自然環境ならびに動物の生態調査がおこなわれています。古くから残されてきた小さな森林は、都市公園としての整備がすすむなかで、徐々にその環境が変化しています。野生動物を中心とした自然環境の調査は、現状を把握するという重要な意味をもっています。 ○金沢城公園の位置 金沢城公園の場所は、市街地に伸びる小立野大地の先端にあります。もともとは丘陵地が続いていましたが、築城のために掘割(現在の兼六園と金沢城の間)されたことで、台地から切り離されてしまいました。その築城により孤立した丘陵地が金沢城公園です。かつては金沢城は水堀に囲われていたようですが、現在は大手堀だけが残っています。 台地の先端にあり、すぐ近くには卯辰山があります。森林とのつなぎであった小立野台地の斜面林の減少、周辺の都市化、金沢城公園の公園整備などにより、環境が変化してきました。数年前までみられていたアナグマは近年みられなくなりました。 ○金沢城公園の生物についての参考文献 大串龍一.1995.城跡の自然誌−金沢城跡の動物相から−.十月社.金沢. 戸田光彦.1992.金沢大学城内キャンパスで記録された両生類、は虫類.金沢大学 理学部附属植物園年報.15:1−23. 石川県土木部公園緑地課.2001.金沢城址公園.夢みどりいしかわ2001 |