河北潟水域の現状

報 告:高橋 久(生物委員会)

 河北潟周辺の水辺環境は、近年の宅地造成、農業用水路の改修、圃場整備等によって、環境の悪化が懸念されています。河北潟湖沼研究所生物委員会では、河北潟周辺の水辺環境と水生生物の継続的な調査をおこなっています。それらの結果の一部は既に公表されていますが、その中より河北潟の水域環境の現状について触れている部分を紹介いたします。以下は月刊「水」2000年8月号に掲載された、「河北潟水域の現状と河北潟周辺の水生昆虫相(西原昇吾・高橋久)」よりの引用です

かつての河北潟と河北潟水域の現状
 河北潟は能登半島の付け根の部分に位置する海跡湖で、かつては東西4km、南北8kmの大きさであった。1963年に始まった国営河北潟干拓事業は、潟総面積2,248haのうち1,356haを干拓し、農地1,079haを造成するとともに、沿岸耕地3,275haの排水改良を図るもので、潟の中だけでなく、周辺地域を含めた事業であった。この事業により、河北潟と周辺の水域環境は大きく変容することとなった。
 干拓前の河北潟地域は、潟自体とともに、周辺に様々な形態の水辺環境が存在する、豊かな水郷地帯であった。潟の岸辺や周辺の水路にはオニバスなどのたくさんの水草が繁茂し、それらを生息場所とする水生動物が豊富であったと考えられる。しかしそのほとんどはきちんとした調査もされないままに消滅してしまった。水生生物群集の消滅は、干拓前に存在していた複雑な形状の湖岸や多様な水辺が次々と消失していったことと、深い関係がある。
 かつての潟辺にはもともと道はなく、移動は舟でおこなっていた。そのために周辺の集落では家と家、家と田を結ぶイタニと呼ばれる小舟の通る水路(舟入川)が縦横に走り、内陸部にまで水路による水域ネットワークが構築されていた。水路は、多様な水生植物が繁茂し、メダカや水生昆虫の恰好の棲み場所であったことが推測される。河口に堆積した泥湿地の上にはヨシが繁茂し、延々と続く高茎の草原が存在していた。河口部は流路が枝分かれして、複雑な湖岸が形成されていた。こうした環境は野鳥の隠れ場として、また様々な水生昆虫の生息場所として利用されていたと考えられる。湖岸には幅広い水草帯が広がり、潟の水辺は水生植物が繁茂していた。水草帯に舟を入れると、クロモなどの沈水植物や、ヒシ、アサザなどの浮葉植物が櫓にからみつき、前にも後にも進むことができず苦労したといわれている。浮葉植物の下を多くの水生動物が繁殖場所として利用していたと考えられる。
 こうした多様な水域環境こそ、かつての河北潟を特徴づける環境要素であり、その中で水生昆虫を含む多様性の高い水生生物群集が形成されていたと想像される。しかし干拓事業やその後の環境の悪化や水辺の人工化に伴って、河北潟周辺の水辺に生息する生物は、いくつかの種がすでに消滅したり、また現在消滅の危機に瀕している。たとえば、水草のオニバスはかなり以前に消滅し、ガガブタはこの数年間で消失したと考えられている。かつては河北潟の湖岸を埋め尽くすほどに群生していたと考えられるアサザは、現在では潟周辺の数カ所に点在するのが確認されているだけである。まさに河北潟の水生生物は危機的な状態にある。
 河北潟の水域環境の現状をみる限り、現在河北潟で確認できる水生生物はかつての豊かだった河北潟の中で繁栄していた種の生き残りの姿として捉えることができる。彼らはかろうじて、わずかに残された自然の中で生き延びている。ところが最近になって河北潟に残されたこうしたわずかな自然的水域までもが消滅の危機にさらされている。

河北潟周辺に残されたわずかな自然水域(金沢市馬渡川)

 河北潟周辺の農地は近年急速に宅地化が進み、地方自治体による大規模な団地造成も進められている。宅地化にともなって周辺の環境整備もおこなわれることとなり、古い形態を保つ小規模河川が次々と消滅したり人工化されている。たとえば、金沢市木越地区を流れる馬渡川は、自然植生を伴う水辺環境を有する貴重な環境である。しかしこの川を横断して大規模宅地化が進み、現在周辺の整備も併せておこなわれ、馬渡川も河川改修の途上にある。すでに改修が終了した下流域は完全に人工化された流路になり、自然環境としての価値はなくなった。コンクリートブロックにより法面上部が護岸されているために、今後も植生の回復は困難である。水際もコンクリートで固められているために水生生物の生息は困難である。一方、未改修区間は、河北潟地域の古い水路の形態を残しており、改変が進んでいる現在の河北潟の水域としては、歴史性や生物生息環境の視点からみて希少性の高い河川環境となっている。しかしこの水域もまさに風前の灯火である。

改修されコンクリート化した水路には生物は生息できない(津幡町川尻)

 河北潟干拓事業に伴って整備された周辺の水田の地盤沈下が進んだため、これらの水田では最近になって新たな圃場整備が進んでいる。内灘町大根布から西荒屋に至る地域のうち、河北潟または河北潟干拓地と集落との間に挟まれた圃場は、干拓により新たに造成された環境ではあるが、造成から30年以上が経過したことにより、すでに良好な野生生物の生息環境となっている地点もある。比較的湿った水田、植生を伴う様々な形状をもつ用・排水路、休耕田などは比較的良好な水生生物の生息環境となっている。こうした環境はその場所にはもともと存在せず、二次的につくられたものであるが、周辺に本来存在した環境に共通する要素をもつものである。現在圃場整備が進み、大規模に盛土が施され、水路もコンクリートに改修されつつあり、かつての環境要素は消滅した。

最近急速に進んでいる圃場整備(内灘町上荒屋)

 河北潟の東側と南側は金沢市が接していることもあり、宅地造成が盛んにおこなわれている。宅地化は水田面積の減少を伴い、地域の保水力を低下させることから、現在河北潟への農業排水路の拡張工事がおこなわれている。現在、津幡町川尻地区では湛水防除事業による農業用の排水路改修をおこなっているが、作業が終了した区域では、周辺水域に生息環境をもつフナなどの一部の魚類が侵入している他はほとんど野生生物はみられない。

河北潟周辺で進む農業用水路の改修(津幡町川尻)

津幡町にある漕艇競技場に面した水路は、土砂の堆積とヨシ等の抽水植物の繁茂が進み、野生生物にとって良好な環境となり、エサキアメンボをはじめとする希少な動物が生息している。しかし、ここもゴミの増加や水質悪化により汚いということで、埋め立ての対象となった。現在のところ水域は残す方向で検討がおこなわれているが、どちらにしても環境は大幅に改変される予定であるために、野生生物の生息環境としては著しく質が低下することが予測される。

エサキアメンボの生息する水路(津幡町川尻)

 まさに河北潟の人工化されていない豊かな水域は消滅の秒読み段階であり、河北潟の水生生物群集はそれと運命を共にしている。現在のところわずかに残る良好な水辺環境には、様々な野生生物がみられるが、これらはいわばかつての豊かな河北潟の水生動物群集の名残なのである。今後これらの生物が消滅するか、少しずつ増えていくのかは、我々人間の取り組み方にかかっている。

2000年10月配信

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