河北潟の再生と水質浄化

河北潟湖沼研究所 高橋 久

『水資源・環境学会ニューズレター』No.27(2001)より転載

 私たちが研究対象とする河北潟は、干拓事業により水域環境が一変した場所である。失ったものは多く、一方干拓によって得た広大な農地は、十分に生かされていない。失われたものの一つに、汽水環境とそこに生息していた豊かな生物群集を挙げることができる。河北潟はもともと日本海に形成された海跡湖であり、海水の流入があるためにシジミやボラ、スズキなどの汽水性の魚介が豊富であった。干拓により湖盆面積が縮小したことと防潮水門が造られたことにより、湖は完全に淡水化し、多くの種が消滅、激減した。また、干拓に先行して周辺の湿田の乾田化と湖岸の埋め立て、堤防の建設がおこなわれた。これにより湖岸のエコトーン(緩やかに環境が変化する水辺)が消失し、干潟や湿地、ヨシ帯等の環境が失われ、湖岸を住みかとしていた多くの動物に多大な影響をもたらしたと考えられる。

 干拓に関わる別の問題としてCODによって指標される水質の悪化を挙げることができる。湖盆面積の減少と海水の遮断は、湖内での汚濁濃度の増加をもたらした。また干拓地から流れ出る農業系の負荷も水質悪化の大きな原因となった。水辺の自然の消失と水質の悪化、これが河北潟における2つの大きな環境問題である。

 この2つの環境問題には関連性があり、水質悪化の背景として汽水生物群集の消失を挙げることができる。汽水環境には水中の栄養分を濾過して食べるシジミやフジツボ、土中の栄養分を食べるゴカイなどが豊富で、これらは水質の浄化に貢献している。河北潟ではこれらが淡水化と共に失われてしまったため、河北潟に流入する負荷が効率よく消費されず蓄積することとなった。また、水際の植物はこうした動物の生息環境を与えると共に自らも栄養塩類の除去に貢献しているのであるが、これらの消失も湖の水質悪化の大きな原因となっている。

 こうした背景から、自然を復元することにより本来の浄化力を生かした湖の水質改善法が検討されても良いはずであるが、技術的な問題や効果の把握の難しさなどがあるのか、いまのところ河北潟では検討されていない。様々な装置や施設を使った生物を用いた浄化方法は検討されているが、実際には湖全体を浄化するには処理能力の点で問題があり、実用的には用いられていない。いまのところ、下水道等の生活廃水処理施設の整備がもっとも効果的で基本的な対策であると考えられる。

 今後、河北潟の浄化は、どのように取り組まれるべきであろうか。まず、河北潟は周辺の住民の廃水が最終的に集まる場所であるので、こうした人間の生活から出たものは人間の手で除去すべきである。これは下水処理施設でまかなうべきものである。そして現在の下水処理技術でカバーできない分に関しては自然の力にまかせるべきで、そのためには河北潟の自然環境の復元が求められる。

 浄化対策を検討する場合にCODが問題となるが、下水道やあるいは飲料用の水源となるような場所と違って河北潟のような河口域の生物の生息環境においては、CODの除去を目標とするよりも環境復元を基本とすべきである。河北潟はその環境が以前とは根本的に異なってしまったため、かつての生物群集は存在せず、すでに富栄養化した環境に適した生物も見られる。必ずしもすべてを元に戻すのではなく、かつてあった生態系のバランスを取り戻すために必要なことを考えるべきである。

 湖岸の再生は重要であるが、湖岸にヨシの浮島を浮かべたりするのは景観的にみて不自然で、環境復元の方法として賢明な方法ではない。むしろ、湖岸を復元型ビオトープ(生物の棲める空間)にすることにより再生し、ビオトープによる副次的な水質浄化機能を期待できないだろうか。湖岸には親水設備が造られることは多いが、多くは湖岸を固め、人が近づきやすくなっている。ビオトープにおいては、人が容易に近づくことはできなくなる場合もあるが、なにもない綺麗な水でなく、生き物がいる水辺が本当の親水空間であるという発想の転換が必要である。

 注意しなければならいのは、生物は水をきれいにもし、また汚くもするということである。実際にはそのことによって生物群集が成り立っている。ビオトープは水のきれいな場所を意味するのではない。干潟は腐った生物が堆積するため富栄養的であるが、生物は豊富である。生態系のバランスを創ることが優先されることが重要である。

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