「河北潟総合研究」第5巻が発行されました

 河北潟湖沼研究所機関誌「河北潟総合研究」第5巻が発行されました。今回は4編の論文が掲載されています。
 河北潟のネズミ相の変動を、干拓直後から約20年間にわたり調査した結果をまとめた論文や、河北潟干拓地の土地利用状況を調べた論文、金沢市田上町におけるホタルの生息状況の変化を記録した論文などが掲載されています。
 「河北潟総合研究」第5巻の全文は、刊行物のコーナーにおいてpdfファイルでご覧いただけます(こちらをクリック)。また、以下に代表的な論文3編の要約を掲載します。
 なお、「河北潟湖沼研究所」は、1冊1000円(送料別)で販売しています。ご注文は河北潟湖沼研究所金沢事務局まで

河北潟干拓地における小型哺乳類相とその生息量の長期変動
(1976年−1994年)

大串龍一

要約: 石川県の加賀海岸が能登半島に移行するあたりにある大きな潟湖,河北潟を干拓して1970年に完成した約1360haの河北潟干拓地において,1976年から1994年まで小型哺乳類(ネズミ類,モグラ類)の採集を継続した結果,次のようなことが明らかになった.
 調査期間中にここで5種類の小型哺乳類,ハタネズミ,ハツカネズミ,ドブネズミ,アカネズミ,ジネズミが記録された.このうち4種類は調査当初の湿地草原の時期から生息していたが,アカネズミはヤナギ,ニセアカシアの木立やリンゴ等の果樹園の成立とともに住み着いた.
 この19年間に河北潟干拓地は湿地性草原から完全な農耕地と牧草地へと大きく変わった.それは1979年までの自然草原期,80・81年の農地造成期,82年以降の耕地・牧草地化進行期,1990年以降の農耕地安定期に分けることが出来る.この問,ハタネズミ,ハツカネズミ,ジネズミを主とする小型哺乳類相とその生息量は,年によりかなりの変動はあるが基本的には変化していない.
 しかしその間,1978年を中心とするドブネズミの大発生があり,また80・81年の農地造成期には小型哺乳類全体の生息量は大きく滅少した.入植が始まり農耕地・牧草地がいちおう安定すると小型哺乳類相とその生息量ももとに戻った.1990年代となるとアカネズミが干拓地内で恒常的に見いだされるようになった.これらの小型哺乳類の各種類の変動をみると,それぞれの種が独自に変動しているようにみえる.食物や営巣場所をめぐる種間の競争は確認できない.
 それぞれの種類の変動と気候条件や農耕地化の進行,天敵との関係等をみると,自然草原から農地への変遷に伴い,ハツカネズミが減少してハタネズミが増加する傾向が見られる.1977−79年のドブネズミの大発生はチュウヒの増加をもたらし,ドブネズミの減少には天敵のほかに降水量の増大,少雪などが関与している可能性がある.アカネズミははじめ雄の単独個体が草原に進出し,樹林の成立とともに雌を含む個体群が定着した.(全文はこちらをクリック

 

河北潟干拓地の土地利用の状況
 −1999年のデータから−

高橋 久・川原奈苗

要約: 1999年の春と秋に河北潟干拓地の土地利用状況に関しての調査をおこなった.干拓地の耕作地の約半分は牧草地または麦・大豆畑であった.年間を通じての休耕地・耕作放棄地は約180haで,干拓地内の広範囲にモザイク状に分布していた.干拓地の有効な活用や,野生生物の生息環境の保全を促進する上で,現在の土地利用状況を正確に把握することは重要であり,所轄の行政機関による詳細な調査を実施することが求められる.さらに正確な情報公開のもとで広範な議論を喚起することが,将来の河北潟干拓地を作るうえで重要であろう.(全文はこちらをクリック

 

金沢市における大規模開発に伴うゲンジボタルの減少について

西原昇吾・永坂正夫・白井伸和・高橋 久

要約: 金沢市田上本町周辺はゲンジボタルの大量発生地であり,1997年度の調査では3000匹弱の個体数が確認された.その後,1988年より始まった宅地造成と外環道路整備計画にともなう生息地の改変が進行したために個体数が減少し,2001年度の調査では確認された個体数は200匹ほどであった.田上本町における開発の問題点および今後の生息地保全について提言を行なった.(全文はこちらをクリック