いしかわ環境フェアー2001が開催される
  
−河北潟湖沼研究所は河北潟の水草相の現状について出展−
 

 いしかわ・環境フェア2001は、8月25−26日に県産業展示館3号館で行われました。参加者は主催者の発表によると8500人でした。例年と比べ出展数は少な目でしたが、今回は、大学や市民団体の参加が昨年よりは目立ちました。河北潟湖沼研究所は、「変わりつつある河北潟の水草相」と題して、パネル展示と河北潟の水草の展示を行いました。あわせて、活動紹介やボランティアスッタフの募集案内を行いました。
 ここでは水草相に関してのパネル展示について掲載します。

 
環境フェア2001の会場の様子   河北潟湖沼研究所の展示ブース

 

いしかわ・環境フェア2001 パネル展示

− 変わりつつある河北潟の水草相 −

 蓮湖」とも呼ばれ、オニバスをはじめとする水草の宝庫だった河北潟。干拓の時代を迎え、自然の水辺の消失など環境の変化のなかで、かろうじて生き残ってきた河北潟の水草にも、今急激な変化が起こりつつあります。

「水草の宝庫」の時代

 干拓前の河北潟周辺には、舟の出入りのための水路がたくさんありました。ある水路では、舟の運行の邪魔になるほどのオニバスが繁茂していたといいます。また、大正時代に書かれた「石川県河北郡誌」によると、河北潟の湖岸には黄色い花を咲かせる水草が広がっていたといいます。舟で岸に近づくと沈水植物が櫓に絡まって苦労したそうです。

 

干拓前の河北潟の湖岸:かつて湖岸には、水草が繁茂していた。(撮影 清水武彦氏)

 

オニバス:河北潟では現在絶滅しているが、土中から種子が見つかり復活した新潟県の福島潟の例もある。(写真は福島潟)

干拓による変化と残存する水草帯

 干拓事業と同時に行われた護岸や水路の埋め立てなど、水辺の大規模な改変により、河北潟の水草の状況は一変したと考えられます。かつての面影は、東部承水路のガマやヨシからなる広い抽水植物帯や、西部承水路のヒシやアサザなどの浮葉植物帯、いくつかの農業排水路の沈水植物群落にかろうじて残っています。

 

アサザ:かつては至る所に見られた浮葉植物。現在では河北潟周辺の3ヶ所で確認されている。

 

ミクリ:ヨシやガマなどよりは少し背の低い抽水植物。泥の貯まった浅い水辺に見られる。

 

ガマ:独特の花序をもつ抽水植物。岸辺のヨシより少し深いところに生育する。

 

ミズアオイ:今では河北潟周辺の農地などでわずかに確認されるだけである。

急速に変化する最近の傾向

 かつてはたくさん見られたミズアオイは、ほとんど確認できなくなりました。西部承水路では、数年前までにガガブタが消失したと考えられています。最近になって西部承水路には、外来種であるホテイアオイが越冬するようになり、昨年(2000年)は大規模な群落を形成しました。今年(2001年)は、ホテイアオイはあまり繁茂していませんが、これまで西部承水路で出現していたトチカガミがほとんど見られなくなりました。また、ヒシも今年はあまり勢いがありません。これらの原因はよくわかりませんが、西部承水路の何かが変わってきているようです。周辺の農業排水路も整備が進み水草帯が消失したところも見られます。

 

ガガブタ:10年ほど前までは河北潟にあったらしい。現在は確認できない。(写真は福島潟)

 

トチカガミ:2年前までは西部承水路に普通に見られたが、今年(2001年)は限られた場所にしか確認できなかった。

河北潟の水草保全の動き

 河北潟の水草は現在危機的な状況ですが、河北潟の水草を守る動きもでています。河北潟と周辺に野生生物の住みか「水辺ビオトープ」をつくろうという活動や、河北潟の水辺を再生しようという動きもでてきました。

 

河北潟干拓地ビオトープ:河北潟に最初につくられた水辺ビオトープ。河北潟の希少植物の保全を目指した。

 

つばたすこやかの森ビオトープ:津幡町の自然農法のグループが今年(2001年)造成した。

 

津幡漕艇場横ビオトープ:石川県津幡農林総合事務所が昨年(2000年)造成。おもにアサザの保全を目的としている。

 

こなん水辺の郷:金沢市が造成中。河北潟周辺産の水草を移植することとしている。