河北潟湖沼研究所の研究発表会が開催されました(講演要旨)

 河北潟湖沼研究所研究発表会が5月12日に金沢市内で、約20人の参加のもとおこなわれました。この会は日頃からの河北潟湖沼研究所各研究委員会や研究会会員の研究成果を披露しあうとともに、今後の河北潟湖沼研究所の研究方針について話し合うことを目的として開催されたものです。6人の方から研究成果の発表や今後の取り組みについての提案がおこなわれました。また、河北潟湖沼研究所顧問で国会議員の桑原豊さんも駆けつけ、挨拶しました。
 以下に当日の録音テープから筆記した、講演要旨を掲載します(発表順、文中敬称略)。

 
研究発表会の会場の様子   桑原豊さんの挨拶

 

 

河北潟湖沼研究所研究発表会 講演要旨

 

「河北潟と木場潟の水質逆転」 
  沢野伸浩(星稜女子短期大学)

 

 県環境部のおこなった調査データをもとに、河北潟と木場潟の水質を比較してみると、木場潟は平成2年から3年には国で2、3番目の悪い水質であったが、これを除くと1990年にピークで最近2、3年は下がっている。ところが河北潟の方はずっと上がってる傾向で、ここ何年かはさらに上がっている。木場潟も河北潟も1996年に生活排水重点対策地域に指定されて、対策が始まったが、その成果というのは全く逆になっている。これまで木場潟が県内でもっともいちばん汚い湖であったが、今後は河北潟がいちばん汚い湖ということになる。このような現象が起こってる原因はある程度明らかである。まず木場潟では、90年頃から粟津温泉など上流の汚染源の下水を前川に放流するようになり、木場潟に入らなくなったことが挙げられる。もう一つは、流域の社会経済的な変動が木場潟では少なかったこと、負荷が増えいていないことが挙げられる。また、93年ころから上流から直接大日川ダムの水を入れている。それに比較して河北潟では、宇ノ気川流域などのの下水道の整備予定が遅れている。現時点で浮かんできているもっも大きな原因として津幡町の下水処理場が考えられる。東部承水路のところに処理場をつくって下水を処理している。集中して下流で処理するために、通常の流下の中での自然浄化がなくなった。津幡町は人口が増えている自治体で、複合的に水が汚れる原因になっていると考えられる。
 どのような浄化策がとれるのかを具体的に考えていくときに、コストの問題が一番先に来る。これまでの浄化実験成果から、ホテイアオイなどの植物を使うことも有効と考えられる。河北潟を浄化するにはコストがかかるが飲み水として使うのではないので、浄化方法とそれらを使える順番と、どうしたらお金がかからないかを私たちが提案する時期に来ているのではないか。

「『河北潟の自然と文化』編纂の重要性」
  大串龍一(金沢大学名誉教授
    ・河北潟湖沼研究所研究会会長)
 

 私は河北潟湖沼研究所の後世に残すべき事業として、河北潟の自然環境と歴史のきちんとした記録を残すことを提案したい。これまでにもいくつかの単行本や地方自治体の刊行物や新聞の特集などで、河北潟の干拓や水質変化の問題について書かれており、また、県や市町村で水質などのデータも取っている。しかしこれらの文献や記録は分散していて、我々がみることは難しい。いま、河北潟を紹介しようとするときに、誰もが利用できるようなまとまった総合的な文献が無い。
河北潟の湖水だけでなく干拓地、砂丘、流入河川の流域をも含めた、ひとつのまとまった生態系としての、また住民と自然環境とが共存しながら造り上げてきた北陸の文化の産物としての河北潟の情報をまとめた信頼できる地方誌を作り、誰でも利用できる形で残すことがこの研究所の使命のひとつではないかと私は思っている。この地域の人達の共有する財産としてだけでなく、この特長のある自然生態系を世界に紹介することにも大きな意義がある。地方ごとの環境の記録をきちんと残していくことは、広い意味での世界の環境問題の解決のためにますます重要となってきた。
 河北潟とそれを取り巻く地域はいくつかの特長を持っている。ひとつは日本海に面した海岸砂丘の背後にできた汽水性の潟湖であるということで、こうした潟湖は干拓しやすく、洪水や地震などで埋没しやすいために現在の日本では多くが消滅した。独特の生態系と生物、湖畔の住民の生活や生業、村落社会のあり方などは、ごく最近まで残っていたにもかかわらず、いま急速に忘れ去られようとしている。数回の干拓事業、とくに1970年代の最後の干拓事業で生じた自然環境変化や住民の生活の変化をまとめることは、日本の他の干拓地、児島湾、八郎潟などと比較して日本の近代史、とくに農業政策と自然環境の対応をみる上で大きな資料となると考えられる。河北潟は氷河期の終わり頃からの約3万年の地球の歴史の中で作られてきた自然環境、数千年の人間の開拓の歴史、そうして最近30年の干拓以後の環境変化といった視点で捉えることが大切だろう。こうした認識のうえに立った「河北潟の自然と文化」(仮称)の企画と編集を早く開始したいものである。私の考えではまずここ2、3年は湖水と周辺の自然環境について、既存資料と我々自身の調査確かなデータを集め、さらに歴史記録と近代の生活・文化の記録を集めて、5年位のうちに発行できるようにしたい。
 この編集には2つの作業が必要である。一つは出来るだけ自然・文化両面の資料を集めて記録すること、第二は不足するデータを私たち自身で調査し発表していくことである。それらをもとにして河北潟の全体のイメージを作り、自然環境と人間生活を総括的にまとめていく作業がそれに続く。このような作業を出来るだけ早く発足させたいものである。

「河北潟の湖岸再生」 
  高橋久(河北潟湖沼研究所生物委員会)
 

 河北潟湖沼研究所生物委員会は、私だけでなく数人のメンバーが積極的に取り組んでいる。ここでは生物委員会として河北潟の問題をどのように捉えていてどんなことを取り組もうとしているのかについて話したい。
 干拓前の河北潟には、ヨシがあって土や自然、水草の繁茂する水辺があった。そこで潟のシジミを採っていた暮らしがあった。そこには他の生物もいた。干拓によって湖が小さくなったり、海の水が入らなくなって水質が悪化したことはたいへんな問題であるが、私たちが今注目していることは、干拓によって潟の周辺の環境が大きく変わったことで、それによりかつての湖岸が消失したことである。それにより生物もいなくなったが、かつて生物がいた場所がどんな場所でそれがどう変わってしまったのかが、今私たちの関心を持っているところである。
 河北潟の干拓前と後の地図を比較するとその様子が分かる。干拓前の河口には砂州が発達しヨシが茂っていた。ここは生き物のゆりかごであった。干拓により堤防が張り巡らされ人工の湖岸になった。また川はショートカットされて砂州は消失した。河北潟干拓は湖自体の干拓と同時に周辺の整備が行われたが、このことにより環境が大きく変わった。野生生物との関係においては周辺環境の改変が大きかったのではないかと考えている。
 干拓により湖岸がまっすぐになり植生が育たなくなった。湖岸が人目から遠ざかったことによってゴミが増えた。最近になって新たな改変がおこなわれている。西部承水路沿いの圃場整備や住宅地整備が進んで排水路の整備も行われた。水路に残っていた生物がいなくなるなどの状況が起こっている。
 河北潟の問題は、干拓がおこなわれたことと同時に、周辺の整備が行えれたこと、そして最近になって新たな改変が大規模におこなわれていることであり、それによって、干拓後になんとか生き延びてきた野生生物が最後のとどめを刺されているような状態である。 河北潟の周辺にはまだ何とか生物特に水生生物が生き残っている場所があるが、これらも急速になくなりつつある。エサキアメンボがいた水路も埋め立てられてしまった。
 私たちのできることとして、河北潟の自然の水辺をつくろうとということを呼びかける目的で水辺ビオトープをつくった。この考えを拡大して、河北潟将来構想をつくった。いろいろな野生生物が棲める空間をつくることを提案した。このように野生生物との共存を掲げることによっていろいろな河北潟の環境問題の解決につながるのではないかと考えている。

「河北潟地方の歴史」 
  宮本真晴(河北潟湖沼研究所歴史委員会)
 

 4、5年前から河北潟周辺の神社を回っている。成果はこれまでに河北潟総合研究に2回掲載した。
五輪の塔という昔の墓の形があるが、下から地・水・火・風・空を表している。おもしろいのはこの五輪の塔が神社にあったことである。本来神社は不浄のものを嫌うのであるが、それが河北潟町の東側の津幡以北にあった。もっとも南では津幡駅東の三輪神社に5つくらい、国立高専近くの井上三輪神社に10個くらい、津幡の領家、菩提寺の神社、宇ノ気町の神社にもみられた。高松の方にいくとみられなくなる。五輪の塔がなぜ神社にあるのかは不思議で調べてみたいと考えている。
 神社をまわっていた4,5年前と比較して、環境が変わってきている。金沢市の観法寺町稲荷神社は後ろの方へ高速のアクセス道路が造られてきている。
 これからは地名のことに興味を持っているので取り組みたい。津幡の地名も「端」の意味なのか、または「津」は二つの意味の朝鮮語「ツル」で、朝鮮からわたってきた服をつくる「ハタシ」でないかという意見もある。今後調べてみたい。内灘では宮坂の中に黒津船地内という地名がある。伝承によればそには渤海の使者が船に乗ってきたという説と、承久の乱に破れた順徳天皇が佐渡に流されるとき嵐にあってそこに流れ着いたときの船が黒かったという説もある。
 加賀岬という半島が突き出ていたという説がある。小浜神社は昔、宮坂にあり、社が今の海の中にあり、鳥居が今でも海の中にあるという説もある。津幡には「御門」という地名もあり、回ってみたいが雑用が多く、なかなか回ることができない。時間をかけてゆっくりとまとめていきたい。

「河北潟水質浄化施設の活用について」
  櫻井英二(東洋建設株式会社)
 

 まだみなさんとお知り合いになれて日が浅いため、まだ研究所の現状について良く把握しないが、浄化施設に足を運んだ入りして、現在の浄化施設の有効な利用について考えたこと、現在の浄化施設についての課題についての私見と、最近注目されている浄化技術について述べたい。
 最初に現在の浄化施設について話したい。内灘町のパンフレット等からは積雪量の多い北陸地域で初めての、水生植物のもつ自然浄化機能を活用して浄化する研究施設とある。あくまでも試験研究施設ということで浄化能力はそれほど高くない。現在はホテイアオイが枯れており、ハウスが雪でつぶされた状態である。この施設では、取水した水を3つの池に分配して処理して、集水ピットにあつめて外へ流す仕組みになっている。現地をみて感じた点はまず、施設の規模が大きくないので、主に研究や学習の場として使っていただろうということ。ただし、それほど多くの人が来るものではなかったと思われる。北陸地方における生態系活用施設のあり方として、ホテイアオイをハウスの中で育てていたが、本来の生態系活用の考え方からすると、ハウスという人工環境の中で育ているということとは、相容れないかと思われる。学習施設としてのあり方としては、現在の河北潟との関係やレジャーや農業との関係ははっきりと位置づけられていなかったのではないかと思われる。4つ目として管理運営の問題で、今まではホテイアオイでやってきたがメンテナンスがたいへんだったと聞いている。長期的な観点で管理運営していくという始点がなかかったかなと思われる。したがって、今後は研究所で管理していくものと考えるが、長いスパンでビジョンを描きながらやっていったらいいのではないかと思われる。
 今注目される浄化技術として、一つ目がマイクロバブルである。従来の下水処理施設でも好気性バクテリアで浄化するため、エアレーションはおこなわれてきたが、マイクロバブルはこれまでよりも細かい泡でエアレーションに必要なエネルギーも少ないという利点がある。小さな泡は汚れが凝集していくことも助ける。ゆっくりと上がっていくので非常に広い範囲に拡がり、結果的に水質浄化や生物の育成につながる。ウナギの養殖やヒラメの種苗育成など水産業や農業でも使われている。
 次が炭素繊維で、自宅でもメダカを育てるのに使っている。レーヨンを蒸し焼きにしたもので太さ7ミクロンで一束12,000本くらいある。好炭素菌が増殖しやすい特徴がある。バイオソニックによる増殖効果がある。また多くの細菌が繁殖するために内側が嫌気性となり、外側の好気性微生物を内側の嫌気性微生物が食う。またSSの補足にも役立つ。消化脱窒までする。生物親和性も高い。既にオーストラリアの3万人規模の下水処理施設で稼働している。
 次はビオパークで、強い常緑多年生の植物を使う仕組みで、リンを系外に除去するのに使う。市民に植物を摘んでもらうこともできる。市民への学習効果を期待できる。この仕組みを使って大規模な水耕栽培の試みもおこなわれている。
 長い目で見て自然環境と対立する方法は良くない。河北潟は広い面積があって、そこに人や水辺、産業があるのでそれとの関係を考えなければならない。
 結論として、浄化能力は限られているので、教育の場として使ったり、産業と調和するような施設として使っていけばよいと思う。これについては議論してほしい。情報発信の場として位置づけ、目的は市民啓蒙教育学習実験研究ということではっきり打ちだしてしまう方がわかりやすい。農業やレジャー産業の河北潟を利用している人にもメリットがある方法を考えたらどうか。新しい技術がいろいろでてきているが、長所、短所があるので組み合わせて相乗効果をもたらしたらよいのではないか。
 4つ目は持続可能な利用や運営システムの構築していったらいいのではないか、研究所のアイデンティティを問うようなものにしたらどうか。

「河北潟湖沼研究所の今後の方向についての私案」
  松澤照男(北陸先端科学技術大学院大学)

 

 湖沼研究所の設立時にメーリングリストで議論した経過についてまとめた。
最初の時点で、何らかの法人組織にしようということで話し合ってきた。実際にはNPO法人という形になった。また、住民参加型の研究所にしようということを話し合ってきた。
 次に河北潟の問題をどのようにして解決するかということを議論した。当初、汽水に戻すのがいちばん早いじゃないかという議論もあったが、もう少し現状についてよく考えようということになった。また、河北潟問題を、公害問題して捉えるのか環境問題として考えるのか、どう考えたらよいかという議論があった。ある程度汚染源ははっきりする点では環境問題に入らない部分もあるのではないかという意見もあった。
これまでの科学とは違って、環境問題を考える上では、主観性、複雑性、多様性、相互依存性などを考えなくてはならない。環境科学には地域性があって、ある実験があるからそのまま河北潟には当てはまらないことがあり、ケースバイケースで考えていかなければならない。また必ずしも進歩を求めるのでなく持続性が大事であるという認識についても議論した。
 水質悪化の原因についての議論では、干拓で面積が小さくなったからなのか、淡水化の影響なのかといったことを話し合った。また、河北潟が海洋汚染の防波堤になっているという意見も出た。水田の排水から畜産の屎尿、下水道などいろいろな要素があり、原因をはっきりさせないと問題解決につながらないことを認識した。
 今後は、もう少し住民への広がりをもっていく必要がある。そのために、シミュレーションをおこなって、下水処理施設によって河北潟の水質がどうなるかということなどを予測した結果を示していくことが重要である。行動の担い手は住民であり、また地方自治体や他の団体とも連携して流域の問題を考えなければならない。
 一つの目標は何らかの具体的な処理をおこなう上で、メンテナンスフリーを実現する仕組みを実現することで、そのために知恵を絞る必要がある。自然浄化を基本に考えて、県と1市5町でやれる修復システムを構築することが重要だ。これは、どこの湖沼でも取り組でいることで、この研究所がリーダーシップをとることが求められる。
 最後に研究所の課題として、各委員会を統合化することが重要で、また、人が集まれる場所として実質的な空間とバーチャルな空間をつくることが求められる。