2001226

諌早湾の水門開放についての一試案

  

宮江 伸一  

 

 諌早湾干拓事業の目的は,干潟干拓による優良農地の造成と降雨時や高潮時における後背地の農地の排水改善,市街地の冠水被害の防除である.

 平成11723日の集中豪雨の際には満潮時においても調整池内の水位は0m以下に保持されていて後背地での冠水被害を最小限に抑えでおり,潮受け堤防の防災効果が認められる.

 一方,潮受け堤防内の淡水化と干潟の喪失により水質の汚濁を招き生態系が破壊され,外海へ排出された汚濁水が有明海の漁業にまで影響を与えている.

 いま有明港のノリ不作被害は諌早湾の干拓事業が原因であるとして,水門の開放が強く求められている.これに対して谷津農相は「緊急に徹底調査して,干拓事業が関係しているならば潮受け堤防の水門を開放してでも調査する」と事態収拾に前向きの姿勢を示している.ノリ不作,色落ちの原因が諌早湾干拓に起因するとの確たる証拠は今後の詳細な調査によらねばならないが,水門締め切り以後の水質変化,生態系の異変,漁業不振が急速に進展していることを勘案すると,干拓事業が有明海の環境変化に関与していることも全く否定できない.

 他方,諌早湾に隣接する長崎漁協などからは「水門を開放すれば漁場が汚染される」,「防災効果が失われる」として水門開放に反対する声もある.

 総延長7kmに及ぶ潮受堤防には.幅200mの北部水門と帽50mの南部水門が設けられており,現在は調整池の水位を常時−1mに保持するために干潮時に南北両水門を開放して海側へ排水している.

 いまこれらの水門を一気に開放すれば,長崎漁協が懸念するように調整池内の潟土が巻き上げられて水質悪化を招き,これが外海に流出すれば漁業に悪影響もたらすことは必定である.

 本報は,外海の環境にこのような悪影響を及ばさないで水門を開放するには如何にすべきかについての試案を提示するものである.

 

T)水門の構造は調整池から外海への排水だけを念頭において設計されており,外海からの流入に対しては不適当な構造となっている.

1)護床工の構造

 水門の構造は外海への排水だけを念頭において設計されており.護床工は海側へは3トンのコンクリートブロックが57m敷き詰められているのに対して,調整池側では1トンのコンクリートブロックが45m敷き詰められているに過ぎず外海から強い流れが流入すると護床工が不安定になる.

 したがって調整池側にも海側と同様の護床工を設置すればよいが,水門からの噴流を制御し流速を減衰させるために障壁となるブロックを配置する方法も有効である.

2)樋門の構造

 樋門下端の断面形状は調整池から海側へ一方向のみ滑らかに流出するような形状になっており,このままの形状で海側から調整池側へ流入させると樋門下端のリップで流れが剥離して局所的に攪乱されるとともに縮流が生じて底面に沿う噴流となって流れ込むことになる.この際樋門に振動が発生することもあるが抑制することは技術的に可能であり,水門の開度が大きい場合には樋門の下端形状の影響は緩和される.

 

U)調整池に外海から海水を流入させる場合の問題点と対策

(1)淡水と海水の比重差による底層流の相違

 調整池から外海へ排水する場合には.調整池の淡水は海水よりも比重が軽いため樋門下から流出した淡水は護床に沿って流れるうちに海水の上に浮上して表層へと拡散する.したがって樋門下からの早い底層流は急速に減衰することと,従来からの排水操作によって護床上の堆積泥は安定な定常状態に落ち着いているため堆積泥を極端に巻き上げることはないと考えられる.(図1〔この現象は気象に例えれば温暖前線に相当する〕

 しかし.海水を調整池へ流入させる場合には比重の大きな海水は淡水の下へ潜り込み「塩水楔」を形成して,樋門からの早い底層流は遠くまで護床に沿って流れることになる.(図2〔この現象は気象に例えれば寒冷前線に相当する]

2)海水流入時の堆積泥の巻き上げ    

 海への排水時には樋門前面での近寄り速度は緩やかで,ことに護床面では樋門近くを除いて流れが極く遅いので調整池側の護床上には堆積泥がかなり堆積しているものと考えられる.ここへ海水流入時に樋門下からの噴流状の流れが作用すれば堆積泥は一気に巻き

上げられることになる.したがって長崎漁協が指摘しているように水門の調整池側前面に堆積した堆積泥を巻き上げ著しく撹乱し汚濁することが懸念される.

3)調整池側の護床構造の改善による堆積泥の巻き上げの抑制

 調整池側の底面には1トンのブロックが45m敷き詰められているが,樋門下から海水が塩水楔となって早い速度で流入すると護床に堆積していた堆積泥は容易に舞い上がり調整池に拡散されて広範囲に水質を汚濁させることが懸念される.そこで護床工に比較的に大きな障害構造物を適当に配置して塩水楔の早い底層流を制御し拡散することで堆積泥の舞い上がりを局所的最小限に止めて水質の汚濁を極力抑制しようとするものである.この手法については金沢大学工学部での小規模なペンチテストでその効果は実証済みであるが,実地に適用するにはさらに規模の大きな装置での詳細な実験を重ねて適切な構造を検討する必要がある.(図3

参考:北海道では乾雪が吹雪で舞い上がり視界を遮るために,飛雪対策が研究されている.堆積泥の舞い上がる現象は,泥と雪,水と風の相違はあるが類似の現象であり相似則によって整理すればかなり参考になるのではないかと考えられる.

 

V)外海の環境を保全しながら水門を開放するにはどのように操作すべきか

1)潮受け堤防による防災機能の維持

 潮受け堤防は高潮や豪雨時に後背地や沿岸干拓地の冠水防除の機能を維持するのが目的であり.気象状況を見極めて水門操作することが絶対条件である.

 ことに後背地や既存の低地干拓地の防潮堤の限界水位を越えないことは勿論,高潮や降雨が予測される際には干潮時に速やかに調整池の水位を−1mまで排水できるだけの水量を流入すべきである.

 一方近年の気象予測は,観測機器の充実やスーパーコンピューターを駆使した予測技術の進展が自覚ましく著しく的中率が向上し,48時間(明後日)まで高い確率で予測が可能になり,「降水短時間予報」は3時間先から6時間先まで延長された.したがって天候が安定していれば防災機能を維持しながら調整池内の水位を変動させることは可能である.

2)南北の両水門を同時に開放した場合の問題点

 7kmの潮受け堤防に北部水門(6基,200m)と南部水門(250m)が設けられているが,満潮時にこの2水門を同時に開放すれば前項で述べたように海水が水門から勢いよく流れ込み調整池側の堆積泥が撹乱されて水質が著しく汚濁する.干潮時にはこの汚濁した水が両水門から外海へ流出することになり諌早湾口だけでなく有明海全域に汚濁が拡散することになり兼ねない.

 したがって安易に水門を一気に全開するような拙速は絶対に避けねばならない.

3)南北の両水門を同時に開放して潮を出入りさせても調整池の水は短期間には交換されない

 南北の両水門を開放して海水を出入りさせても水門近くの水が出入りするだけで調整池の中央部の水は停滞したままで移動せず調整池の水質は短期には改善されないと考えられる.

参考:i)かつて建設省の呉の研究所で瀬戸内海の海底地形の大規模な模型を作って太平洋側の水位を上下させて潮汐による瀬戸内海各地の潮の流れを実験したことがある.その結果,紀伊水道と豊後水道から大量の潮が出入りするにも拘わらず瀬戸内海の潮は殆ど入れ替わらないことが明らかにされている.

    ii)揚水発電所では上流ダムからの落水で発電し.夜間の余剰電力で下流ダムから上流ダムへ揚水しているが,上流ダムと下流ダムを上下する水はあまり拡散されず同じ水塊が行き来していることが知られている.

4)調草池の水を速やかに交換するための水門操作

調整池の水をポンプで交換すると莫大な電力と長期間を要するが,潮汐エネルギーを有効に利用して調整池内に一方向の潮の流れを発生させれば調整池内の淡水を海水に速やかに交換することができ,以下のような水門操作が考えられる.

i)満潮時に一方の水門を開けて海水を流入させ,他方の水門を閉鎖しておく.この際後背地や周辺干拓地への影響がない水位まで海水を緩やかに流入させることは当然であり,気象状況やつぎの干潮位によって安全な水位(-1m)まで排水可能なことを確認しながら操作する.

ii)干潮時には海水を流入させていた水門を閉鎖し,他方の閉鎖していた水門を開放して調整池内の淡水を海側へ排水し,防災上安全な水位に保持する.

 以上のiii)の水門操作によって調整池内には流入水門から排水水門の方への一方向の流れが生じ調整池内の潮水交換が安全かつ速やかに遂行される.

5)前項の水門操作による効果と安全性の検証

i)外海へ流出する水質は従来から排水されていた調整池の水であるから湾外の環境には急激な変化を与えない.ただ流入した海水の水量分だけ排水量が増加するため,排水時間の延長あるいは排水回数がわずかに増えることになり一時的に外海の水質に影響を及ば

すことが懸念されるが,十分な水質監視の下で試行すれば長崎漁協が容認し得るものと考える.

ii)海水をいずれの水門から流入させるかであるが,潮受け堤防外の潮流は北から南へ反時計回りに流れていることから北水門から流入させるのが順当であろうが,狭い水門の開放によって潮受け堤防の外の潮流が元の状態に回復することは殆ど期待できないことと,防災上からは緊急排水に対応するために水門幅の広い北水門(6門,200m)の方がより安全である.

 したがって海水は南水門(2門,50m)から流入させることになる.

iii)南水門の幅は50mしかないが,潮位変動を考慮すると潮位が−1mを超える時間は長いので緩やかに長時間にわたって海水を流入させ,潮位が−1m以下となる時間は短いので短時間に排水する必要があり水門幅の広い北水門(200m)から排水する方が安全である.

iv)南水門から海水を流入させると前述のように水門近傍の堆積泥が舞い上がって調整池内の水質は一時的に汚濁することが懸念されるが,南水門からは排水されず約6km離れた北水門から排水されるわけで,南水門での汚濁水が北水門に達するまでにはかなりの日数を要しその間に拡散,沈殿してしまい,北水門から堆積泥が直接流出することはない.

v)調整池内の水質汚濁がかなり進行しており,まず調整池内の水質を改善してから外海へ排出すべきであろう.汚濁した淡水が外海へ排水され海水と混合されると凝集沈毅して汚泥となって堆積しているが,諭整池内で塩水化してNaイオン,Cイオンによって凝集沈殿させてから外海へ排水すれば外海での環境負荷の改善が図られる.

 この手法については詳細な実験を重ねて慎重に検討する必要がある,

vi)調整池内が海水に置換されて水質が安定し外海への排水も改善された後,防災上安全な時期に北水門から海水を流入させて水門近傍の堆積泥を南水門と同様に処理すれば調整池内がすでに塩水化しているので比較的短期間に水質が安定するものと考えられ,以後南北の両水門を開放して海水の流入排水が可能となる.

 

W)調整池内に海水を流入させた場合の環境改善効果の予測と調査

1)海水による汚濁物質の沈殿

 調整池内にほ浮遊物質が多く透明度は悪いが,流入する海水のNaイオンやClイオンによって浮遊物質が凝集沈殿するため海水濃度の高い南水門付近から水質が改善されることが期待される,

2)調整池内の干潟の再生

 潮受け堤防が締め切られてから殆ど一定水位に保持されていた干拓地に汽水が干満し汀線が変動すると干喝の生態系が回復することが期待される.外海から多様なプランクトンや仔魚,ペントスなどが流入して定着することによって有機物の分解が進み水質の改善,富栄養化が防止される.

3)潮受け堤防の外海の水質が改善される

 潮受け堤防の水門から排水される汚濁水が堤防外へ排出されてから沈殿分解するために富栄養化し赤潮の発生を招いているが,潮受け堤防内が塩水化することで河川から流入する有機物が調整池内で消化分解されることになれば外海での水質が改善される.

4)調整池の塩水化に伴う環境変化過程の観測調査が必要

 調整池の塩水化の進行に伴う水質や栄養塩類等の変化,水温成層,塩水成層などの物理化学的変化の推移調査および動植物相の遷移,回復過程などを詳細に計測,観察することが是非とも必要であり,万一異常な現象が観察された場合には海水の流入を一時中止して

影響の原因を確認した上で安全な流入方法を慎重に検討した後,実験を再開するように細心の注意を払うべきである.これらのデーターの集積は,閉鎖性淡水域の汽水化,塩水化についての貴重な資料となるものである.

5)水門開放による諌早湾の環境改善の効果が確認されるには長期間の試行が必要調整池内の汚濁水が夛量に排水されると諫早湾口の水質は一時的にかなり汚濁することが予想され,諌早湾口の水質が改善されるには少なくとも数カ月から半年の試行が必要であり,自然環境が復元し漁業資源が完全に回復するには半年から数年を要するであろう.

 これに対して水門を全開にして調整池内の汚濁水を一気に排水する意見もあるが,調整池内の大量の堆積泥が諫早湾外へ排出されると有明海全域の水質が汚染され水産資源に長期にわたる影響を与えることになり,富山県黒部川の出し平ダムの二の舞いになることが危惧される.

参考:出し平ダムの6年間の堆砂を排砂水門から黒部川へ排出したところ砂まじりのヘドロが大量に流出し黒部川の河川環境に大きな被害を及ぽし,さらに日本海の沿岸漁業に甚大な被害を与えた.その後毎年排砂しているがその潜在的影響はいまも続いている.男部川は日本海へ注ぎ沖には対馬海流があるが,有明海は潮汐による潮流は早いが湾内の海水が移動しているだけで湾外への海水の出入りは僅かであり,調整池から洗出した堆積泥は長年月にわたって有明海に滞留することになる.

 

X)調整池内に海水を流入させる際に留意すべき事項

1)造成干拓地の陸生植物の除去

 造成干拓地は塩分が除去された結果,陸生の植物が多量に繁茂しており,これらに塩水が冠水すれば一気に枯死して腐敗し,再び窒素,燐の濃度が高まり水質が富栄養化することが懸念される.したがって海水を流入させる前に造成干拓地の冠水域での除草が必要で

ある.

2)後背低平地の既設堤防を超えないように流入水位には厳重な注意が必要

 後背低平地ことに黒崎地区+0.4m,梅崎地区+0.6m,松崎地区+0.6mでの堤防の改修,嵩上げが急務であるが工事が完了するまでは流入水位に留意すべきである.

 

Y)今後の課題と提言

 諌早湾干拓事業の目的は,優良農地の造成と沿岸後背地の冠水災害の防止であるが,以下のようなさまざまな問題が顕在化しており,これらに対する改善策と提言

 

問題点

1)調整池造成後の平成11723日の豪雨時に浸水被害を速やかに解消して調整池の防災機能は効果的に発揮されたとしているが,内部堤防が未完成で調整池面積が3000ha余での効果であり,内部堤防が完成すると調整池面構は1700haに半減するために調整池の防災機能も半減することになり,計画通りの内部堤防が完成すると十分な防災効果が期待できなくなる.

2)現在は工事中とはいえ調整池内の水質は汚濁し潮受け堤防からの海水の浸透によって完全な淡水化は困難であり,産業用水として利用できるか疑問である.したがって調整池は防災上必要な時だけ水位を下げるために水門操作することとし,常時は海水を出入りさせて調整池内は汽水化あるいは塩水化して干潟の浄化能力を回復させ健全な生態系を再生すべさである.

 

改善策と提言

1)干拓農地の西工区600haは大略−1mで既に干陸化されており周辺道路も整備されていることから,西工区を速やかに完成させて入植営農を実施すべきであろう.

 干拓農地の東工区700haの造成は一時見合わせて調整池とすれば調整池の面積は約2400haとなり,防災効果が向上改善されることになる.

 したがって現在施工中の内部堤防工事を中止して西工区の堤防工事に変更し,農地達成を完成し優良農地としての実績を検証すべきであろう.

2)水門の開放によって調整池が汽水化あるいは塩水化され農業用水として利用できなくなるが,造成農地の西工区へは本明川からの河川水を導水すれば塩害の懸念もなく農業用水としての安定取水が可能となる.

 さらに後背低平地農地(小野島地区,赤崎地区,森山地区)の農業用水として地下水を汲み上げており地盤沈下による自然排水が困難な地域には,河川からの潅漑用水を導水すれば地下水揚水による地盤沈下を抑制するのに効果的であろう.

 

◎本事業の賢明で有用な活用

 水門の試験開放によって潮受け堤防内の環境改善が明らかにされて恒常的に海水の出入りが可能となれば,さらに潮受け堤防の締切り時に落としたギロチン部分に潮汐発電所を設置して大量の海水を出入りさせれば自然エネルギー利用のモデル事業となるであろう.

 かつて有明海の4.94mの干満差を利用して50kwの潮汐発電が検討されたことがあるが,発電単価が当時100円/kwhを超えることから沙汰止みとなった経緯がある.それは締め切り堤防の建設費が膨大になることであった.

 しかしいま既に堤防が完成しているのであるから,これを有効に利用する一つの方策として潮汐発電の可能性を検討することも必要ではなかろうか, 低落差用のポンプ水草を設置すれば,通常は潮汐の干満に従って発電し,降雨時に調整池内の水位を下げるには潮受け堤防外へポンプによる強制排水が可能となり防災効果は飛躍的に向上することになる.

 さらに潮受け堤防で風力発電も行えば,我が国のエネルギー需要の3%を自然エネルギーで賄おうとの将来計画にも寄与することになろう.