秋晴れの下での総合的な学習の授業
  
−内灘中学2年生が「こなん水辺公園」で環境観察会を実施−

 「総合的な学習」が本格的に開始される中で、金沢市や河北郡の小中学校では河北潟をテーマにした環境教育の授業が盛んにおこなわれるようになりました。さる9月20日には、内灘中学校の「総合的な学習(環境観察会)」が「こなん水辺公園」他を会場としておこなわれました。このうち「こなん水辺公園」の観察会においては、河北潟湖沼研究所生物委員会の高橋久研究員と川原奈苗研究員が自然解説や野外ゲームなどのお手伝いをしました。
 生徒数が多いため、3組に分かれて時間をずらして「公園」の水辺や圃場をまわりました。最初に高橋研究員による、河北潟の自然と「こなん水辺公園」についての話の後、「人間知恵の輪」ゲームで体と頭をほぐし、その後に自然観察をおこないました。ヨシやチクゴススメノヒエの生える水辺ではチョウトンボやメダカ、ヌマエビなどが観察できました。昔ながらの方法で耕作している圃場では、数種類のトンボやアメンボなどの水生昆虫や休耕田の雑草類などが観察されました。多くの生徒は、水田でスケッチをしていました。
 観察会の場で使われた解説のレジュメには、河北潟の環境問題や「こなん水辺公園」について簡潔にまとめられておりますので、ご参考のためこのページの最後に掲載しました。

 
こなん水辺公園の圃場のハスを観察する生徒たち。昔の田んぼの話を興味を持って聞いていました。   ハス田の中で見つかったミズアオイの花。有機農法を実施したため自然に生育しました。

 

内灘中学校環境観察会(こなん水辺公園会場)で使われたレジュメ
 作成:高橋 久(河北潟湖沼研究所)

河北潟の環境と水辺の自然

 河北潟は40年前までは、大きな汽水湖(海の水と川の水が混じった湖)でした。河北潟の周りは湿地だらけで、人々は水路を整備して舟を使って生活していました。いろいろな不便がありましたが、人々は潟から採れる魚やシジミを食べ、湖底の泥を田んぼの肥料にするなど、潟の恩恵を深く受けて生活していました。潟の周りの湿地には、ミズアオイなどの水草が茂り、シギなどの水鳥が生活していました。
 大規模な干拓や周りの湖岸整備や乾田化などの湿地の改変によって、河北潟の環境は大きく変わりました。潟の大きさは約4分の1に減り、淡水の湖に変わりました。それにより、それまで生息していた多くの生物が死滅しました。また以前の水質と比べて富栄養化が進み(汚れがひどくなり)、透明度はたいへん悪くなりました。湖岸は人工的な矢板やアスファルトに変わりました。水田は乾田となり、水路はコンクリートに変わりました。こうした改変により、河北潟地域は全体的には乾燥した場所が増えるとともに、野生生物が少なくなりました。

ビオトープと「こなん水辺公園」

 ビオトープとは、野生生物(自然の中で自立して生活している生物)の住みかのことです。野生生物が生息するためには、ふつうはある程度のまとまりや広がりのある自然空間(たとえば森や川や池など)を必要としています。
 しかし人類が繁栄するにつれ、人工的な空間がどんどん増えてきために、広がりを持った自然空間が少なくなり、様々な野生生物が減ったり絶滅したりするようになりました。現代における野生生物の絶滅の速度は、これまでの地球の歴史のどの時代にもみられなかったほどの急激なものです。
 野生生物の生活空間である自然は、本当はその自然を破壊した人類にとっても非常に大切なものであることが、最近になって多くの人によって理解されるようになってきました。それは、自然を失った人たちが、人工的な空間の中での生活がきゅうくつに感じ、ストレスを解消するために自然が必要だと感じるようになったためです。また、多くの人が自然の中にある様々な価値(たとえば環境の変化を和らげる作用や、薬用を持つ植物などの存在)について知るようになり、人類の生活が多くの野生生物の恩恵を受けて成り立っていることが指摘されるようになったためです。
 そこで、今でも残っている自然空間を保全するとともに、失われた自然空間を人間の努力によって再生しようとする取り組みがおこなわれるようになってきました。多自然型川づくりやビオトープづくりの運動もその取り組みの一つです。
 「こなん水辺公園」は、昔の河北潟の水辺の風景を再生し、そこにもともと住んでいた野生生物を呼び戻すためにつくられた公園です。この公園は金沢市が計画し、みなさんの税金を使って建設されました。この公園はできるだけ自然に近い形の水辺を設計し、いったん生えた植物はそのままにして、できるだけ自然の状態になるまで、辛抱強く見守っていくようにしています。そういう点で人工的に管理された他の公園とは違い、この公園は自然を大切にしている公園ということができます。こうした公園は、金沢市としても初めての試みで、設計の仕方や管理の方法など不十分な点も目立ちますが、今後少しずつ改良しながらよい自然状態が再生されるように、多くの人が関わって努力しています。
 

こなん水辺公園の田んぼについて

 こなん水辺公園の奥には、田んぼがつくられています。この田んぼは昔の田んぼの形をまねてつくられたもので、田植えや稲づくりも昔の方法でおこなっています。昔の田んぼは、今の田んぼよりも一枚の面積がずっと小さく、田んぼの一枚一枚がこまめに管理されていました。また肥料は、自分の家から出る糞尿(うんちやおしっこ)を使い、草刈りは人力でおこなわれました。農薬や化学肥料が発達するにつれ、糞尿を使う有機農業は敬遠されるようになり、農薬や化学肥料に頼った農業がおこなわれるようになりました。また、農業の機械化が進むにつれ、田植えや稲刈りがしやすい大きな田んぼに直されるようになりました。そのため、こまめな管理が難しくなり、さらに農薬を使った簡単な田んぼの管理が普及するようになりました。こうした新しい農業は、生産性の向上や農作業の軽減をもたらしました。その一方で、農作物の安全性が問題となったり、田んぼに住んでいたカエルやトンボが少なくなりました。また、川の水が汚れる原因のひとつをつくりました。
 こなん水辺公園の田んぼは、昔から田んぼに住んでいた生物を呼び戻す目的とともに、みなさんとともに農業のあり方について考えていくために、昔ながらの方法でつくっています。今は年末に餅つきをするためにもち米を作っています。