河北潟

 河北潟は能登半島の付け根の部分に位置する海跡湖で、かつては東西4km、南北8kmの大きさでした。以前は大野川を通じて日本海の海水が入り込む汽水湖でしたが、1963年に始まった国営干拓事業により、潟の面積が1/3にまで小さくなったため海水が入りにくくなりました。また1980年には大根布防潮水門が設置されたために、潟は完全に淡水になりました。干拓と淡水化による環境の大きな変化は河北潟に様々な問題をもたらしています。以前の河北潟では人々は潟の豊かな恵みを受け暮らしてきましたが、現在の河北潟は環境の悪化とともに人との接点もなくなりつつあります。(河北潟の周辺図はこちら

河北潟干拓地

 河北潟干拓地は1,359haの面積を持つ広大な農地です。現在は、麦や大豆などの畑作を中心に、牧場・牧草地、蓮根田として使われています。未入植地も多くありますが、それらの大部分は雑草地になっています。干拓地は農産物を生産するだけでなく、草原性の野生生物の生息環境としても重要です。もともと干拓により出現したヨシを中心とする広大な草原は、野生生物の格好のすみかでした。タカの仲間のチュウヒはこの地で繁殖を始めました。干陸後しばらくは河北潟はこのチュウヒを始め野鳥の宝庫でした。少しづつ草原が減少し、入植が始まるとともにこれらの種は窮屈に生活するようになりました。
 干拓地の農業は、畑作物の不作や鳥獣害により厳しいものですが、河北潟は、生物にあふれる、本来健康な作物を作り出す場として優れた地域であり、今後新しい農業を展開する農地としての可能性を秘めた土地と考えることもできます。

現在の河北潟の問題

過去の河北潟

河北潟と人々のくらし

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