河北潟の歴史

干拓以前の河北潟

 かつての河北潟の水域環境に関する資料は決して多くないのですが、古い地図や文献、聞き取りなどからは、多様な水域を有する水郷地帯であったことがうかがえます。

フ ゴ

 成立当時の河北潟は広大な面積を持っていましたが、堆積によりだんだんと小さくなっていきました。しかし比較的深いところは陸化せずに、孤立した窪地として残されました。この窪地が沼となりフゴ(不湖)と呼ばれていました。フゴは泥が深く人には利用しにくい環境であったようですが、徐々に開田されていきました。大正時代に編纂された石川県河北郡誌には内高松のフゴについての記述として「前田利常の時、今の大谷川の河床に堀切を作りて其水を排出し、以て約15町歩の水田を作り」と記されています。またフゴを干拓した場所では「全水量を落下せしめしも、尚沼澤の痕跡を存し蘆葦の生ずるに放任せしが(中略)而も尚年々新しき土壌を加うるに非れば耕作に適せざる部分ありといえり」と書かれています。
人にとっては開発が困難な場所であったことは、フゴに棲む動物にとっては逆に棲みやすい生息環境であったことが想像されます。

複雑な河口域

 河口に堆積した泥湿地の上にはヨシが繁茂し、延々と続く高茎の草原が存在していました。河口部は流路が枝分かれして、複雑な湖岸が形成されていました。こうした環境は野鳥の隠れ場として、また繁殖場所として利用されていたと考えられます。鬱蒼とした抽水植物帯は一度入り込んだらなかなか出ることはできず、人間からみれば、まさに魑魅魍魎の住む世界であったようです。

水 路

 潟縁にはもともと道はなく、移動は舟でおこなっていました。周辺の集落では家と家、家と田を結ぶイタニと呼ばれる小舟の通る水路(舟入川)が縦横に走っていました。そのため内陸部にまで水路による水域ネットワークが構成されていました。ある水路では、現在では河北潟から姿を消してしまったオニバスが繁茂し、舟の通行の邪魔にさえなっていたといいます。水路は、多様な水生植物が繁茂し、メダカや水生昆虫の恰好の棲み場所であったことが推測されます。

水生植物が繁茂する水辺

 潟の水辺は水生植物が繁茂していたようです。舟で潟に出るときに誤って水草の茂っているところに入るとクロモなどの沈水植物や、ヒシ、アサザなどの浮葉植物が櫓にからみつき、前にも後にも進むことができず苦労したそうです。

フゴ
複雑な河口域
舟

 

 

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セブンイレブン記念財団みどりの基金(平成22年度)

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地球環境基金

 

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日本水大賞(平成24年、第14回)

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